鉄骨鉄筋コンクリート造(SRC造)の鉄骨を検討する際には、鉄筋の納りを決めておき、鉄筋が配置される部分については鉄骨に孔をあけておく必要があります。
その為にはある程度鉄筋に関する知識を持っている必要があるので、前回までの話で簡単な鉄筋の知識について説明をしてきました。
こうして建築関連の様々な分野の知識を持っているという事が、建築のプロとして自分の価値を高めることに繋がっていくことになるはず。
これは仕事をする上で非常に重要な事ですから、まずは知識を自分の中に蓄えていき、それを実践することによって経験を積んでいくという流れを継続することを当サイトではお勧めします。
少なくとも私はそうやってプロとして仕事をしてきました。
その為に必要なのは、記憶力などの能力的な部分ではなく、本人の仕事に対する意欲や好奇心などメンタル的な部分になってくると私は考えています。
だからこそ、意欲が減退してきた時はどうするの? という悩みもある訳ですけど、そのあたりは私の個人的な話になるのでさておき…
仕事に関して、自分が特に疑問に思っていないようなことを人から説明されても、そのあたりの知識はあまり頭に入って来ないのではないでしょうか。
これは学校で苦手な教科を勉強している状態を思い出して頂ければ、何となく雰囲気は伝わるのではないかと思います。
しかし、仕事をしながら「ここがどうしてこうなるのか分からない」という感じで疑問に思っている事について説明されれば話は別ですよね。
その場合は、ちょっと陳腐な例になってしまいますけど、乾いたスポンジが水を吸うように知識は自分のものになっていきます。
まあ仕事に興味を持つことが出来るかどうかという話ですから、それ自体が難しいという意見も当然ある訳ですけれど…
それでもこの両者の違いはあまりにも大きいです。
両者の違いを生み出すポイントは「知識に対する飢え」であり、仕事のやり方とか優先順位の考え方などは細かい枝葉でしかありません。
…と、決めつけてしまうのはちょっと乱暴ではありますが、今まで結構な期間仕事をしてきた中で思う事なのである程度正解も混ざっていると思っています。
ただ、「仕事に興味も意欲もあります」という前途有望な方がいたとして、その方が建築関連の仕事に就いた場合の事を考えると、話はそう簡単ではない部分もあります。
ちょっと変な話になってしまいますが、その人を大事に育てていく余力が企業(というか建築業界)にあるかどうか、というあたりが難しいところなんですよね…
いくら興味があって面白い業務でも、一人ではこなせないくらいの膨大な仕事量がノルマとしてあったとしたら、その意欲を持ち続ける事は不可能です。
もしくは頑張って働いていて面白みも感じていて、実際にスキルアップもしているのに、全然給料が安くて生活できないとか。
そうなるともう個人の能力とか意欲などは問題ではなくなってしまいますよね。
このあたりの話はその人を雇う事にした企業の責任という事になるのですが、企業としてもそこまで給料を支払えない状態かも知れません。
そうなると建築業界全体が少し歪な状態になっているのかも知れない、というようなそもそもの話になってしまうのですが…
もしそうであれば、仕事に携わる人が健全に働く事が出来ない仕組みが出来ている訳ですから、この業界は衰退するしかない運命にあるのだと思います。
それはもう個人の意識とかはあまり関係なくなってしまうので、もしそうなったら、もっと別の業種でその意欲などを発揮した方が良いという事になります。
ただ、そこまでの話を私がしても意味がないので、ここではお金的な話はやめておき、仕事量が膨大な場合にどうなるのかという話をしていく事にします。
ちょっと長くなったので次回に続きます。